<授業時間問題> 大学とは誰か:岐路に立ったわたしたち
去る6月11日、三学部合同教授会の直後に研究院事務課より各学部・研究科授業担当教員宛に「授業時間制度に関するアンケート調査」に関するメールが送られてきました。合同教授会の際に学長から教員の意向調査をする旨が示され、早速それが実行に移されたのだと思いました。フォームを開いてみて愕然としました。
「本学が採用すべき授業時間制度について、以下よりご選択ください」とあり、その下にある3択。
A: 90分×15週
B: 105分×13週
C: 大学に一任する
次のページに行くと選択した理由を記述することができるようにはなっていますが、合同教授会で出された意見の大半は、「わたしたちにも選択権をください」というものではなかったと記憶しています。あの場で発言した多くの教員が望んでいるのは「どんな選択肢があり得るのか一緒に考え作りましょう」ということだったのであって、執行部が一方的に設定した選択肢のなかから選ばせてくださいというものではないはずです。執行部に属さない教員たちは授業時間制度について検討し提案する資格もないのでしょうか?
現執行部のこのような姿勢は、Cの表現に端的に表れてしまっています。「大学に一任する」。この「大学」とはいったい誰のことなのでしょうか。現執行部は大学=執行部だと思い込んでしまっているのでしょうか? 国家と自己の区別ができなくなった独裁者の肥大した自己意識のようなものを現執行部が持ってしまっているとしたら、本当に悲しむべきことです。
しかしこの命題には別の解釈の余地もあります。「大学(執行部)に一任する」と解釈するのではなく、「(全)大学(構成員)に一任する」と解釈することです。学生たちの声が次々と挙げられているように、この問題は全大学構成員に関わる重大な問題です。独裁か民主化かの岐路にわたしたちは立たされています。執行部の暴走はいますぐ止められなければなりません。
授業時間制度に関する問題を全大学構成員に一任せよ!
<授業時間変更問題の経緯>
1. 平成16年(2004)度【=法人化の年】以降、全ての大学は、(独法)大学改革支援・学位授与機構(「機構」)から認定証を受ける必要が生じ、7年以内毎に文科省の認証を得た大学機関別認定機関に査定を依頼しなければならない。(外語大の第1巡は2007年度、2巡が2013年度)
2. 第3巡2019年度に「基準6-4 学位授与方針及び教育課程方針に則して、適切な授業形態、学習指導法が採用されていること」において「不可」を受ける。→基準に満たない場合、次の認定までに機構に相談しながら改善する。→2021年機構に相談したものの「ALはシラバスの記載方法や実施方法を変えない限り授業時間と認め難い」と指摘される。→それ以降、学内全体に呼び掛ける形での点検や会議などがないまま、第4巡2026年度が来年に迫る。
3. 2026年度に査定を依頼しないと、機構から「認定証」がもらえない→文科省から大学認定取り消されるやもしれぬ→早急に2025年度内で授業時間を変更しなければならない。→とりあえず時間を増やす方向→「問題のALは廃止」「105分×13回」(早い段階でこの案に外語大の命運を賭すことを独断専行) →5月教授会で初めて学内向けに表明→2025年6月2日機構が警告「授業時間変更決定は、遅くとも変更前の2年前に行うべき」「授業の長時間化は非常勤講師に対する不利益変更となる」
4. 6月2日 学生有志が学内に情宣開始;9日 組合がアンケートを開始;11日 合同教授会
5. 6月11日教授会直後に教員対象に上記3択アンケートをとり、学内の総意を得たことにしようとしているかに見える。しかも、そのアンケートには非常勤講師は含まれていない。当然のように職員もはじかれている。「学生の意向調査をするつもりはない」とは学長の言。
<教職員の声・対案など>
・情報公開を始めたことは前進だが、情報を小出しにして意見調査をしたところで、討議・闘技なき集計は民主主義ではない。
・ALが問題だというが今まで本学は違法状態にあったのか? 違法だとすれば、今までの学生の単位の扱いはどうなるのか。違法でないのであればこのように唐突の変更を行う理由は何か。
・10年続けてきたALをこのように簡単に捨て去るのは、今までの学生の苦労を無にする行為だという自覚はあるのか? シラバスへの記載如何で認定の可能性があるなら、なぜ、語科・分野・学部・全学でその方向性を探らない/なかったのか;オンデマンドの可能性を探る
・105分の場合、非常勤講師給与上昇分の財源確保が必要;大きすぎる学生への影響への対応は?;図書館等利用施設の時間延長が必須だが予算はあるのか;長時間労働はジェンダー差別を助長する
・多くの語学が学べるのが売りなのだから、だが、授業が他大に比して多い。語学で取得できる単位を増やして、コマ数減を良しとしないのであれば、1コマの時間を例えば60分としてはどうだろうか。
・3学部共通授業の導入で教員の負担軽減を;留学に深刻な影響がないなら15コマも視野に
大学院生が労働組合?!-2022年カリフォルニア大のストライキ―
報告者:山田優理氏 5月21日(水) 17:45~19:30 @講義棟106(参加者33名)
参加後記 東京外国語大学 博士後期課程 C・H
(報告会の言葉から)「今の権利を勝ち取る運動をしてきた上の世代に続いて、
我々も10年後の誰かのための、環境を整えるために、動くんです」
5月21日、山田優理氏をお迎えし、「大学院生が労働組合?」という題で、報告が行われた。冒頭、アメリカにおける労働運動の歴史をさらった後、授業みたいですねという山田先生のユーモアはさておき、大学という高等教育機関でユニオンの組織化や運動がどう展開されたか、キーワードとともに紹介がされていったのだが、今回を機に、なんとなく掴んでいた言葉がくっきりと色づいたような気分であった。例えば、バーゲニングであったり、山猫(ワイルドキャット)ストライキ、スキャビングなどであるが、実際どのような妥協を迫られ、内部でどのような調整や葛藤があったか赤裸々に語っていただいたことで、鮮明に想像を重ねることができた。いくら活動を尽くそうとも、時には譲歩を求められたり、非常にもどかしい経過になっていくことは、研究活動にも通じるものがある。それでも上の世代が活動を重ねたからこそ、今多少はましになっているかもしれない、何か進んでいるかもしれない、未来の世代を思ってまた地道に続けていくしかないという部分もまた然りであった。アイデンティティ政治についても言及があったが、働く環境に対する共通の問題意識を共有してさえいれば、その他は問わない、誰でも歓迎するという姿勢は時に、参加者にとっては「自分のアイデンティティがひとくくりにされた」もしくは「アイデンティティしか投影できるものがない」という反応に至ることがあるという。独りの葛藤と皆の問題意識、両者を並行世界にしないためにはどうしたらよいだろうか。
もう一点、COLA(*編集部注《cost-of-living adjustment》生活費調整のこと。賃金決定の際に、物価上昇に伴う生活費の上昇分を予想しており込むこと。賃金の物価スライド制。)の概念も、テクニカルな要素を越え、実際に生活の中でやむにやまれず、求め、突き動かされる真剣さに、やっと触れることができたように思う。生活実感と結びつけるという意味では、家賃の高騰によって食費を切り詰めるほかなかった学生のエピソードは身につまされるものであった。他者起点の労働運動に対して、上辺の支持ではなく、自分事として捉えられるか否かは、いざ自分たちの生活に影響がで始めた時にこそ試されるのだろう。ストライキを起こした寮のスタッフらに対し、住民である寮生たちは、当初は食事の提供やゴミ出しが滞ることへの不満の声を上げたが、実際にスタッフらにインタビューをしたことで、他人事ではなくなる瞬間があったという。スタッフの働く環境がいかに不当なものであるか、トイレすらスタッフが使用可能な階は限られているというエピソードは、生の声を直接聞いて、ようやく腹の底まで届くというものである。
質疑応答で、よく代弁していただいたとも思ったのだが、日本社会で生活していると、権利はお膳立てされているような所与の感覚に陥り、ルール上、社会の雰囲気上、という固定観念に縛られて、身動きが取れなくなることがある。制度の穴を突いて、周辺から変化を図るのも一つ手ではあるが、何よりも、「自分たちでつくっていくしかないという」意識を当然に捉えるほかあるまい。幾度となく強調されていた「社会にとって「良い」変化は下からしか来ない」というメッセージは、動画で目にした人々の呻り声と共にこれからも響き続けるだろう。
「社会にとって「良い」変化は下からしか来ないです。我々が下から変えていくしかないんです。」
組合員リレーコラム(3) 荒川慎太郎
読後雑感:『限界の国立大学―法人化20年、何が最高学府を劣化させるのか?』
(朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班,2024.11,朝日新書)
国立大学法人化20年を過ぎ、竹内亨2024『大学改革―自立するドイツ、つまづく日本』など、法人化の影響を論じる書籍も増えてきた。本書もその中の一冊と位置付けられる。平積みに目立つ帯で「残酷立 (ざんこくりつ) と呼ばれる理由」と付けているから、目にされた方、一読された方も多かろう。
本書は6章からなり、「急速に悪化する国立大学の資金繰り」「研究する時間がない研究者たち」「不安定化する雇用」「大学の自治を奪うもの」のルポルタージュが記される。各章の配列にどうもつながりが感じられないのは、もともとデジタル記事で別個の連載だったためであろうか?
設備の老朽化、授業料値上げ、運営費交付金の削減、若手研究者の雇用不安、教職員の多忙、学術会議問題、国立私立格差…と大学の問題がどれもこれも詰め込められているのが難で、各所で「問題」は挙げているものの、建設的な提言や解決案があるかというとそうでもない。この辺りは前掲『大学改革』に、(私自身は首肯できないものの)「各大学が強みを生かし特化し、多元的な競争を行う―分権的な選択と集中」のような提言を与える書の方を評価したい。
また「トイレが改修できない!」など箱モノ(それも実験施設とかではなく!)の予算不備に読者をリーディングしがちで、職員の不足・待遇改善に踏み込んでくれないのも残念である。本書は多くのアンケート、インタヴューにより成り立つ。そしてインタヴューでは実際、「事務機能が低下している…事務方の機能の低下もあり…」(本書pp. 59-60)、「事務職員が減らされたことで…教職員が多忙化した」(本書p. 102) など、窮状が訴えられているのだから。
一方で、同じくインタヴューの一節だが「法人化と運営費交付金削減を分けて論じるべき」など、重要な示唆も含まれる。もちろん、国立大学の現状・問題点を一般向けに示した点では価値ある一冊と言えよう。取材班には今後、「選択と集中」を推し進めた「国際卓越研究大学」制度への注視を続けて欲しい。