新年度のご挨拶 東京外国語大学の新任教職員の皆さまへ
2023年度より教職員組合委員長を務めております古川高子です。2026年度の新学期を迎えるにあたり、本学の組合がどのような場所であるか、私の専門であるオーストリア社会民主党の歴史と私自身の体験を交えてお話ししたいと思います。
私が本学ドイツ語科に入学したのは1990年のことでした。当時の恩師たちはハプスブルク・オーストリア史の研究者であり、同時に社会民主主義の知恵を日々の振る舞いの中に宿した人々でもありました。彼らの姿から学んだのは、社会民主党が長い歴史の中で培ってきたある種の「作法」です。それは、「何か問題にぶつかった時はまず自分の頭で対処法を考え、自ら実践する。解決できない時に初めて身近な仲間に相談し、それでも難しい場合に初めて組合などの組織を頼る」という、自立を大切にする連帯の形です。
19世紀末のウィーンでは、自由主義が生んだ格差が広がり、最底辺の労働者が下水道の通る穴蔵で生活するような悲惨な状況にありました。これに手を差し伸べた社会民主党員たちは、自らも労働者の格好をして現場に潜り込み、困窮者の声を聞き歩きました。しかし、彼らが行ったのは単なる救済ではありませんでした。まずは当事者が自ら工場長や上司と掛け合い、それでも壁に突き当たった時に初めて組織のネットワークを動かしていく。そんな「草の根」の歩みを支える活動です。
現代の新自由主義の流れの中では、現場の人間性が数字として処理され、置き去りにされてしまうことが少なくありません。しかし、ウィーンにおいて今なお社会民主党が強いネットワークを維持できているのは、世紀転換期から続くこうした小さな相談組織が実務レベルで人びとの生活に寄り添い、党トップの独善的な統治を押しとどめてきたからです。政治や経営の要諦は、そこに暮らし、働く人々の協力と納得を引き出すことにあります。その意欲を損なえば、いかに立派な計画を立てても、組織は決して上手く機能しない。彼らはそのことを、歴史の教訓として知っているのです。
私自身がかつて困難に直面した時、周りの組合員だった教員たちは、最初は静かに見守り、私が自ら対処するのを待ってくれました。そして、いざ解決できないとなった時には、本気で親身になって力を貸してくれたものです。この「見守り」と「本気の支援」こそが、人を真に成長させる「連帯」だと私は身をもって知りました。
組合とは、単なる不満の捌け口でもなく、理想だけを語る場所でもありません。現場に根ざして、皆さんが抱える不安や問題を一つずつ具体的に解きほぐし、実りある解決を目指す場所です。一人で抱え込まず、しかし自らの足で立つ矜持を忘れずに。私たちは、現場で働く皆さんの「生の声」を大学当局に届け、共により良い職場環境を築いていく実務的なパートナーでありたいと考えています。
・・・・・━━━━━━━━━・・・・・━━━━━━━━━━━・・・・・━━━━━━━━━・・・・・(特別寄稿)組合員として過ごした36年
中川裕
2026年3月をもって東京外国語大学を定年退職しました。1990年4月の着任以来36年間、東京外国語大学教職員組合の一員として教員生活を送ってきました。
当時は、「就職したら組合に入るのは当たり前」という考え方が一般的でした。同じ年に就職した岩崎稔さんと一緒に組合に入ることにしたのですが、彼は「本来は組合の側から勧誘に来るべきなのに来ない。こちらから出向くのはしゃくだ」と冗談めかして言っていました。とはいえ、そのまま私と一緒に加入しました。その岩崎さんは、やがて組合委員長となったのですが、後に学内の役職を歴任して理事・副学長に就かれ、組合を離れることになります。同じように役職に就いたことを機に組合を離れた方は他にもいらっしゃいました。私は幸い何にも選ばれることなく、36年間ずっと組合員でいることができました。特に組合のために何かをしたわけでもなく、組合に解決してもらうような問題もありませんでしたが、この組合には愛着を感じています。
就職当時の私の職位は、任期のない助手(テニュア)で、授業負担は軽く、大学組織のための業務も無く、海外出張のための調整も容易いものでした。後にライフワークとなるカラハリ狩猟採集民の調査を始めた最初の4年間(1992–1995)には、通算17か月のフィールド滞在を行っています。その間も給与は支給され続け、特に咎められることもありませんでした。調査研究のためには大概のことを大目に見るという、大学らしい慣習があったのだと思います。
今あらためて考えると、この経験は、その後の私の仕事のしかたに大きく影響しています。当時の東京外国語大学が持っていた研究に対して寛容で自由度の高い文化が、自分の行動の前提になったのだと思います。定年までの30余年にわたって、自覚的であったかどうかはともかく、結果として着任当初に触れた大学のそうした慣習を大切にするかたちで仕事をしてきました。そのため、大学組織や周囲から見れば、私は時として厄介な教員であり、身勝手な同僚でもあったかもしれません。国立大学法人化以降は、とくに被雇用者として危なっかしい振る舞いもあったはずです。それでも厳しい注意を受けることなく、定年を迎えることができました。
大学執行部の寛容さや同僚の親切さに負うところが大きいのはもちろんですが、私にとっては、組合員であり続けたことも大きな安心につながっていました。この大学に組合がなければ、同じようには出来なかっただろうと思います。
こうした経緯の中で、私にとって組合は、36年間、背後で見守ってくれる存在だったと言えます。大学に雇用される一労働者として、自分がどんな職場で働いているのかを理解するうえで、他では得にくい情報に触れる機会を与えてくれ、私は情報の偏りからずいぶん逃れることができました。また、不利益が生じた場合に最初に相談できる相手でもありました。実際に相談を要する事態に直面することはなく、無事に定年退職を迎えましたが、「いざというときに頼れる場所がある」という感覚が、危なっかしい私の日々の仕事を支えてくれました。
在職中の36年間、大学という組織は絶えず変化していました。専攻語が増え、学部が増え、大学院が重点化され、組織のかたちは繰り返し作り替えられてきました。とりわけ国立大学法人化以降は、制度や運営の変化に伴い、被雇用者が直面する問題もその都度かたちを変えて現れるようになりました。そうした変化の中で、組合が個々の教職員の抱える問題に関わり、解決を支えてきた姿を、私は見てきました。私自身はその当事者になることはありませんでしたが、その働きを身近に知ってきたことが、組合への信頼につながっています。
その一方で、組合のこうした実際の活動の性格、親しみやすく、人の話をよく聞き、実務的にも確かな側面が、非組合員には十分に伝わっていないのではないかと感じることがあります。組合は特別な場というよりも、日常の中で機能している支えの一つであり、それがもう少し自然に共有されてもよいのではないかと思います。
特別に何かをしたわけではない一組合員としての実感ですが、組合員であり続けたことは、私にとって確かな支えでした。そのことに、率直に感謝しています。
・・・・・━━━━━━━━━・・・・・━━━━━━━━━━━・・・・・━━━━━━━━━・・・・・
外つ国物語(1) 作:菊池直子
2046年 外語大、DXのみに邁進した場合
「本年も定員割れが起きれば、本学の存続も危うくなる。なぜ、こうなったんだ?」
時の学長Xが、経営理事たちを前にして、ため息をついてそう言った。
かつては、外国語とその文学や地域文化を日本語で学べるという理由で競争率の高かった本学だが、それももはや今は昔。三学部を二つのカタカナ名称の学部に統廃合し、「実務家コース」や「英語特化コース」を創設し、広範囲での志願者を拾おうとした結果、首都圏の他大学に埋没してしまった。かつて28言語が学べたという名残は図書館くらいにしかない。
DXや職業訓練校化は確かに国からの予算がつく道であった。小規模校の本学がそれを選び、既存の教育方法を縮小し、国の方針への適応を選んだことは苦渋の選択だったのだろう。予算の獲得や国の基準を守るのは、かくも厳しい。しかし、DXはインフラに過ぎず、競争条件ではあったが、競争優位を作り出すものではなかった。DX機能の代替と増幅を区別し、非DX領域をいかに設計するかが問われる局面だったのだ。
━・・━・・━・・ ━・・━・・━・・ ━・・━・・━・・
時は2025~28年、国に先駆けて、本学は動いた。アナログ教科書の実質的な廃止(印刷センターの予算を数百万円→半減)、小語科のワンオペ化、学生相談窓口の一本化、図書館や他の部署における大学院生支援雇用の雇い止め(年間数十万円)——こうした変化を挟み、再建不能な能力が静かに消えていった。それは、人材・教材・教育ノウハウの蓄積が断絶し、同じ水準の教育を再構築できなくなることを意味していた。
つまり、本学が特徴としていた教育内容「一から始める外国語習得」(ゼロから高度読解に至る到達率)、「現地教科書で学ぶ共時性」(言語間転移能力・メタ言語意識)、「一文に込められた意味を読み解く粘り強さ」(曖昧性処理能力・論理構造把握能力)——これらは、異なる体系を持つ言語や文化を前提に、意味を構造として把握する能力を養う教育であった。「語科やサークルなどで培われていた緩い縦の互助関係」「教員、職員、学生に通底していた外語愛」といったものは、学生の初期段階の離脱を防ぎ、学習継続を支える非公式インフラとして機能していた。しかし、それらが次第に見えなくなっていった。
━・・━・・━・・ ━・・━・・━・・ ━・・━・・━・・
「なぜ本学は、英語のみで授業を行うなどという、当時ですら時流から外れた選択をしたのだろうか?」
——それは、当時、国の方針で教授会の決定権が失われ、学長のトップダウンが許されたからです。
「授業時間問題ということもあったようだが、学内に諮った記録はないのか?」
——残念ながら、教授会には事後報告だったようです。
「もしも、あのとき、印刷センターを存続させ、図書館での雇い止めをせず、学生相談の窓口を複数残し、教員の研究時間を確保し、小語科に人員補充をし、実務家教員主導カリキュラムについて学内に議論を呼びかけていたとしたら、どうなっていただろうか?」
——2046年現在において、それは、AI時代における言語教育モデルとして高い評価を得ていたでしょう。AIが広く用いられる状況では、人間による思考や、メタ言語意識・言語運用の独自性といったものが評価対象となる傾向が見られます。この視点は当時では人間の間ではあまり重要視されませんでした。
多くのAIは言語を基盤とした処理を中核としており、言語研究があってこその装置ですから、当時の状況にもかかわらず、外語大がアナログ的教育領域を残し、人文知に目配りをしていたという事実があれば、その条件は満たされたことでしょう。
そう広汎AIは答えた。
・・・・・━━━━━━━━━・・・・・━━━━━━━━━━━・・・・・━━━━━━━━━・・・・・
組合ランチ拡大版「野外でランチ会」のお知らせ
4月22日(水) 11:45~13:00 @図書館前の桜の木の下
(雨天時:海外事情研究所@講義棟427)
外語大へ新たに赴任された教職員の皆さん、ようこそ! 外語大には教職員組合があります。組合費は月千円、組合費を原資にし、年に数回、懇親会を行っています。また、同じく組合費を原資にし、2024年度からこくみん共済(全労災)に加入。少額ですが入院補償と死亡保険を受け取れるようにしました。特に病歴などで保険加入できない方には朗報だと思います。非常勤職員の方も組合費のみで加入できます。興味のある方はぜひランチ会にいらしてください。
組合が「サンドイッチ」を35食、用意します。ぜひお越しください!
(飲み物はご持参ください)
当日は、個々の悩み相談ももちろん受け付けます。
新年度が始まって気づいたことなどあれば、教えてください。